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ブロックチェーンとアポスティーユの考察③:存在証明の存在証明性は存在証明を必要とされる場合に必要とされる点で必要である。

ブロックチェーンとアポスティーユの考察と続いて③ですが、1、2は長かったのに対してこれはメモ書き程度です。

 

ひさびさに、このまどろこしい考察を書いたのは、OpenApostilleというApostille関連のすばらしいサービスがさんによって公開されたせいでしょうか。
上のロゴは、わたしが(@Rhime)が作りまして、Mijinフォーラムにて投稿したものです。
あとから開発者さんから連絡がありまして、サイトに採用していただけることになりました。
嬉しい限りです。
OpenApostilleに関しては、また別のところでちゃんと記事にしたいと思います。

OpenApostilleの公式ページはこちら↓
OpenApostille:https://www.openapostille.net/

 

 

 


 

さて、今回は「存在証明の存在証明性は存在証明を必要とされる場合に必要とされる点で必要である。」と意味不明なことがタイトルに入っています。

それにしてもアポスティーユについて考え出すとなんでこう、ややこしい感じになるんでしょうか。不思議です。

ちょっと前にキルケゴールの「死に至る病」を読もうと思ったんですが、一連の文章のなかに同じ言葉が二回でてくるようなこういう意味のわからない文章が頻出して敗れ去りました。

「人間とは精神である。しかし、精神とは自己である。しかし、自己とは何であるか?自己とは、ひとつの関係、その関係それ自身に関係する関係である。あるいは、その関係において、その関係がそれ自身がそれ自身に関係するということ、そのことである。自己とはその関係そのものではなくして、関係がそれ自身に関係するということなのである。」

意味わかんねー!!
こんな感じでずっと続くんですよ。

 

証明それ自体は、存在の時点においては無価値である。

 

 

というわけでアポスティーユの考察をやっていきたいと思います。

それで、「存在証明の存在証明性は存在証明を必要とされる場合に必要とされる点で必要である。」についてなんですが、これは機能面での話で、さっぱりと説明してしまえば「いざというときにちゃんと証明しておいてくれないと困るよね」、ということです。
そして、ここから逆説的に導き出せるのが。大抵の存在証明はたいして意味のないものなんだな、ということですね。

これは例に出すと、例えばデザインのなんらかの依頼を受けてクライアントに提出しても、そのデザインが採用されなければその時点においてのそのデザインは、産廃乙となるように、基本的に価値―――価値がなんなのかについてはビットコイナーは既存の常識的概念に表向き迎合しつつも、他方いろいろなところで議論したり考えることによって持論を持ちつつ先鋭化していると思いますので価値がなんなのかについては説明を省きますが、―――が創出されない限り、存在は無価値だということです。

これは価値がない限り、無価値であると、文章的にそのままなんですけれど。

 

だから存在証明を行う場合、その公証体(用語はを参照してください。)は、価値が生まれることをおおよそ予測できるようなブラッシュアップされたものにおいて、その証明をする必要性がでてくるわけです。

 

無価値な存在は、存在しない。

ですがなんらかの偶然で、価値が発掘される場合もあるでしょう。
また、ある人には価値がないものでも、他方の人には価値のあるものもあるでしょう。
路傍の石ころを収集する人もいますし、月の土地を買う人もいるし、世の中がカウボーイ・ビバップみたいになったら宇宙デブリコレクターなんかも出てくるでしょう。

そう考えないと、アナーキー(無政府状態)なヒャッハーなことになってしまいますので。
日本の”かわいい(Kawaii)”は、短絡的思考上の無価値に、価値を認めるイケてる文化ですからね。

 

となると、証明をする必要性のあるものは、あらゆるものに適応されるということになってきてしまいます。
価値が生まれることをおおよそ予測できるようなブラッシュアップされたものにおいて、証明をおこなえばよいはずだったのに、おかしいな。

 

観測されるときに価値は価値になる。

つまるところ、証明の必要性は、価値があり、かつ価値がない、あるいは価値がなく、かつ価値があるというすべてのものに適応されるということになります。

これを、昨今の物理学界隈のナウい概念をかりて言えば、「量子論的にはその物体は観測された時点においてのみ存在する」という感じでしょうか。

光は波であり同時に粒である(逆もまた然り)、といいますが、その二つのスリットを同時に通り抜けるような状態から、ある空間座標に単一で存在するような状態を同時に含有するような、存在という曖昧なものを証明しようと思った場合、認知がされなければ”そこにある”という真実性は大して騒ぎ立てるようなものではないということです。

だから、あらゆる無価値そうなものでも、観測された時点で存在とその関連した情報が改ざん不可能性な状態で証明されているというのは重要なことなんだと思います。

 

これに関しては、以前は以下のように↓、証明前に真実性を確かめてからアポスティーユをするような機構があったほうがいいのではないかと書いていました。

 

これは個人的な愚考であり1アイデアにすぎないのですが、今後、間接公証体における(ちなみに再度言いますがこのワードはこの記事内でしか通用しませんよ)、合意形成後のアポスティーユによるブロックチェーン書き込み機能なども追加されたりするのではなどと考えています。
先日、ブロックチェーンを利用した投票機能も追加されたようですしね。

これを説明しだすとまた長くなりそうなので短く書くだけにしますが、例えば「この猫はロシアンブルーである」、というのを、誠実であるようにするなんらかのインセンティブが存在する投票、あるいは賭けの市場と連結し(Auger、GNOSISなど?)、真実の形成を行い、確認の取れ次第アポスティーユ、あるいはその他なんらかのブロックチェーン公証をもつサービスを利用してブロックチェーンに書き込む、など。

ブロックチェーンとアポスティーユの考察①:存在の証明について

 

ですが、価値は価値であるときに価値になるので(またややこしいことを書きますが…)、事前証明性というのはあまり重要でなく、観測時における存在証明性の信頼度の高さという、突き当りに現れる最後の壁的な部分が頑強に作られていることが良いわけですね。
その頑強性という点で、ブロックチェーンは非常に優れているということです。

 

まとめ

存在証明の存在証明性は存在証明を必要とされる場合に必要とされる点で必要である。
ゆえに、ブロックチェーン(アポスティーユ)を頼ることは、なにがしかの証明をする際において、その構造の信頼性を鑑みた場合、予防線的な点において非常に役立つ。