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書評:芥川龍之介『地獄変』

 

この投稿はnemlogに投稿した記事の転載です。:元はこちら
nemlogで読書感想文を投稿し合うイベントが開催されていたので投稿しました。「本の街だよ読書して!」 のイベントでZEMZEMちゃんが『ぼっけえ、きょうてえ』(岩井志麻子)を読んでてチョイス良いなと思ったので、私もと思い『地獄変』です。

読んだ本

芥川龍之介の『地獄変』です。十分ぐらいで読める短い小説です。もともと『地獄変』は好きな小説でした。私は夢野久作の『瓶詰の地獄』とかも好きな人です。(他にも地獄感のある小説を知っている方は教えてください。)実は合わせて芥川龍之介の『杜子春』を読んだのですが長くなりそうなので地獄変だけにしました。杜子春はもしかしたら教科書で読んだかもしれないですが記憶が全くなく、どんな話かも忘れていたのでちゃんと読めてよかったです。ちなみに杜子春”とししゅん”と読みます。これも十分ぐらいで読めます。

芥川龍之介は没後五十年以上経っていますので、青空文庫でただで読めます。地獄といえば江戸川乱歩も負けず劣らずの退廃ぶりで好きですが、最近ではついに没後から時が経ち著作権が切れて青空文庫入りになったため、ボランティアの方々によって電子書籍化が鋭意作業中のようです。Kindleを持っていると青空文庫を快適に読めますし、Kindleの「メモとハイライト」機能で引用も捗るのでおすすめです。

ちなみに引用は青空文庫のWEB版からです。WEB版ではちゃんとルビつきですが、クリップボードからペーストしたらhtmlのタグもちゃんとついてきてくれました。タグは例えば

<ruby>牛頭<rt>ごづ</rt></ruby>

のように書くことで「牛頭ごづ」とルビ付きで表記できるようです。

 

地獄変

「地獄変」は、芥川龍之介が書いた歴史小説の代表作で、絵を描くことに心を奪われた絵師”良秀” と、それをあざ笑う ”大殿様” の、奇妙で恐ろしい逸話を表現した作品です。1

地獄変の屏風の描写が密度が濃くて好きです。こうした芥川の作品や『山月記』の中島敦などの漢字で殴ってくるような衒学的げんがくてきなものは非常に好きです。幸田露伴と泉鏡花もね。

 

地獄変の屏風と申しますと、私はもうあの恐ろしい画面の景色が、ありありと眼の前へ浮んで来るやうな気が致します。
同じ地獄変と申しましても、良秀の描きましたのは、外の絵師のに比べますと、第一図取りから似て居りません。それは一帖の屏風の片隅へ、小さく十王を始め眷属けんぞくたちの姿を描いて、あとは一面に紅蓮ぐれん大紅蓮だいぐれんの猛火が剣山刀樹もたゞれるかと思ふ程渦を巻いて居りました。でございますから、からめいた冥官めうくわんたちの衣裳が、点々と黄や藍を綴つて居ります外は、どこを見ても烈々とした火焔の色で、その中をまるで卍のやうに、墨を飛ばした黒煙と金粉を煽つた火の粉とが、舞ひ狂つて居るのでございます。
こればかりでも、随分人の目を驚かす筆勢でございますが、その上に又、業火ごふくわに焼かれて、転々と苦しんで居ります罪人も、殆ど一人として通例の地獄絵にあるものはございません。何故なぜかと申しますと良秀は、この多くの罪人の中に、上は月卿雲客げつけいうんかくから下は乞食非人まで、あらゆる身分の人間を写して来たからでございます。束帯のいかめしい殿上人てんじやうびと、五つぎぬのなまめかしい青女房、珠数をかけた念仏僧、高足駄を穿いた侍学生さむらひがくしやう細長ほそながを着たわらはみてぐらをかざした陰陽師おんみやうじ――一々数へ立てゝ居りましたら、とても際限はございますまい。兎に角さう云ふいろ/\の人間が、火と煙とが逆捲く中を、牛頭ごづ馬頭めづの獄卒にさいなまれて、大風に吹き散らされる落葉のやうに、紛々と四方八方へ逃げ迷つてゐるのでございます。鋼叉さすまたに髪をからまれて、蜘蛛よりも手足を縮めてゐる女は、神巫かんなぎたぐひでゞもございませうか。手矛てほこに胸を刺し通されて、蝙蝠かはほりのやうに逆になつた男は、生受領なまずりやうか何かに相違ございますまい。その外或はくろがねしもとに打たれるもの、或は千曳ちびき磐石ばんじやくに押されるもの、或は怪鳥けてうくちばしにかけられるもの、或は又毒龍のあぎとに噛まれるもの――、呵責かしやくも亦罪人の数に応じて、幾通りあるかわかりません。

芥川龍之介『地獄変』、青空文庫

 

地獄変のいいところは、最初から最後まで語りの客観視点で観劇のように読める点です。
語り手の「噂に聞きますと、」とか「それでございますから、」とか「さやうな次第でございますから、」とか「にございました。」とか、この媚びへつらうような口調が作品に味を出しつつ、平時他人事の語り口で描くことで世界から徳不徳、善悪、美醜などを一緒くたに灼いて灰燼に帰してしまうことを指向しているような作者自身の心持ちなどを感じて、凄みを覚えます。

 

あゝ、私はその時、その車にどんな娘の姿を眺めたか、それを詳しく申し上げる勇気は、到底あらうとも思はれません。あの煙にむせんで仰向あふむけた顔の白さ、焔をはらつてふり乱れた髪の長さ、それから又見る間に火と変つて行く、桜の唐衣からぎぬの美しさ

同上

 

でも私が一番印象に残ってるのは、絵師の良秀でもその娘でもなくて、その娘に懐いていた小猿の良秀のほうです。いじめられていた小猿を良秀の娘が助けます。

 

急に可哀さうだと思ふ心が、抑へ切れなくなつたのでございませう。片手に梅の枝をかざした儘、片手に紫匂むらさきにほひうちぎの袖を軽さうにはらりと開きますと、やさしくその猿を抱き上げて、若殿様の御前に小腰をかゞめながら「恐れながら畜生でございます。どうか御勘弁遊ばしまし。」と、涼しい声で申し上げました。
が、若殿様の方は、気負きおつて駆けてお出でになつた所でございますから、むづかしい御顔をなすつて、二三度御み足を御踏鳴おふみならしになりながら、
「何でかばふ。その猿は柑子盗人だぞ。」
「畜生でございますから、……」
娘はもう一度かう繰返しましたがやがて寂しさうにほほ笑みます

同上

「片手に紫匂むらさきにほひうちぎの袖を」から始まる「恐れながら畜生でございます。どうか御勘弁遊ばしまし。」がとても良いと思います。格調高い。そして小猿が娘に懐くのですが、その様子もかわいいんです。

 

良秀の娘とこの小猿との仲がよくなつたのは、それからの事でございます。娘は御姫様から頂戴した黄金の鈴を、美しい真紅しんくの紐に下げて、それを猿の頭へ懸けてやりますし、猿は又どんな事がございましても、滅多に娘の身のまはりを離れません。或時娘の風邪かぜの心地で、床に就きました時なども、小猿はちやんとその枕もとに坐りこんで、気のせゐか心細さうな顔をしながら、しきりに爪を噛んで居りました。

同上

健気でかわいい。そして小猿の最後もとても印象的です。地獄変は文章だけでしか経験したことはないですが、小猿が娘の元に飛び込む場面は、絵のような色のついた形あるいは写真のような形で記憶しており不思議です。
物語の結末は青空文庫でぜひ。

文献

芥川龍之介『地獄変』、青空文庫、https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/60_15129.html

 

注釈

  1. あらすじ引用:http://www.読書のお時間.com/2017/06/14/post-1956/

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伊澄 理夢

伊澄 理夢 / イズミ リム / IZUMI Rhime
2017年3月からブロックチェーンに興味を持って以来、デザインの面から、"NEM"を通じて技術の普及に貢献できる道を探しています。
児童文学と純文学、哲学と現代思想、仏教と禅、黒い服と民族衣装が好きなINTROVERT(内向型)です。
大学ではデザインを学ぶ。