JUSTICE3

これからの仮想通貨の「正義」の話をしよう|倫理と道徳の仮想通貨投資論序説|市場操縦行為や風説の流布の悪について

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JUSTICE3

 

はじめに

 

仮想通貨とブロックチェーンプロジェクトがずらりと並んだ「Cryptocurrency Market Capitalizations Ranking」の中で、不審な銘柄が多く見られるようになったのは、つい最近のことでしょうか。

イーサリアム(Ethereum/ETH)やネム(NEM/XEM)などと混じって、外側だけを大衆受けするように取り繕った中身のない仮想通貨・トークンがTOP10に入り込んでくるなど、ブロックチェーン業界はおおよそ理性的ではない状況になってきています。

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https://twitter.com/sen_axis/status/949114278128300032

 

 

もっとも仮想通貨・ブロックチェーン自体が新しい概念なので、流入する人が参照できる情報が少ないのもあると思います。
昨年の間でかなり日本語の情報が増えた印象がありますが、多くのプロジェクトがGithubで開発を進めており、開発者も英語圏の方が多いため一次情報を得るには英文を読みに行くことが必須ともいえます。

これらは、すべての人ができる方法ではないかもしれませんが、なにかを知りに行くという姿勢は初心者・経験者関係なく持っていなければ、現在のマーケットキャップランキングにたくみに入り込んでいる誇大広告的なトークンを手にしてしまって短期的には儲けることができても、ある日資産がなくなってしまうこともあります。

上記で引用した情報が正しいものであるかはというと必ずしもそうではなく、該当のプロジェクトが完全に無価値ではないことも、まさに”微粒子レベル”で存在します。
問題は、一つ一つの詐欺案件にあり、かつ、それらに対応する個人の姿勢に集約されます。

 

例1

 

 

 

例2

 

 

 

 

 

 

今回提起したい問題として、その形骸化したランキングのあるコインの瞬間的なうまみだけを自分が味わい、まずい部分をよその誰かに押し付けた結果起こりうる不幸についてです。

こうした問題提起の反論として、その人が知ることを怠ったからだ、という意見が出ることが予測されるでしょう。
また、そもそも相場とはそうしたものだ、という意見も出ると思います。

 

前者の反論はもっともです。
イーサリアムの送金遅延が取引所の問題と誤認する等のものは、そこまで問題ではないと思いますが、だれかの言葉をそのまま鵜呑みにして公式サイトやホワイトペーパー、Githubを覗かずに自らの大切な資産をトークン等につぎこむのはそもそも投資という行動を行えるレベルに達していないのではないかとも思います。
仮想通貨・トークンは、インターネット2.0のようなところがありますので、”古臭い株式”などよりもカジュアルでとっつきやすい雰囲気があります。

コインチェックなどの取引所では、かわいらしいお菓子かソーシャルゲームの課金アイテムのように綺麗に陳列されたトークンを見ることができます。
しかしこれらは、株式等に比べると格段に値動きも激しくリスクの高い、金融銘柄という側面も存在していることを認識する必要があります。

基本的には、仮想通貨等はテクノロジーソリューションとしての存在がメインですが、形骸化したランキングを見ると、これらはリスクがあるものという認識が失われつつあるのではないかという懸念が生まれます。

 

無価値なコインの創出

 

加えて、現状もっとも問題なのは、コインチェック等の基本的には優良なトークン・通貨しか置いていない取引所のみならず、冒頭でも書いたような”中身のない無価値なコイン”にも人が押し寄せ喜んでお金を出しそれらを購入している点です。

マイナーすぎる取引所でマイナーすぎる銘柄を眺めるのは楽しいとは思いますが、あくまでそれは、前述した仮想通貨に対しての姿勢を身に着けたうえでやるものだと思います。

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そうした取引所は、見た目からして上級者向けですが、行為的にも上級者者向けです。
しかし、私個人の印象ですが、まったくの初心者の方もメジャーで仮想通貨の中でも比較的低リスクのものを飛ばして、そうした上級者向けの仮想通貨に関わろうとしている気がします。

正直言って、現状さまざまなブロックチェーンにおける課題を克服し、プロダクトとして世に送り出せるような洗練されたものはほぼないのではないかと思っています。

唯一イーサリアムとNEMは(より広く認知された形でのプロダクトとしての)トンネルを、もう少しで抜け出せるのではないかと資料などを通じて感じていますが、その他のほとんどが実験段階・構想・開発段階にあるのではないでしょうか。

もちろんそうしたプロジェクトの中から優良なものを選び出し、資金を投じることが投資であると思いますが、現状の仮想通貨界隈におきていることは少々相違があるように感じます。

以下、問題点を簡潔に示します。

 

 

問題点

 

・買い煽りによる無価値な価値の創出

・無価値な価値を見抜けないリテラシー

・無価値な価値が破裂したときの費用便益分析的に見た全体の効用の損失

 

※費用便益分析とは、ある事業の目的を達成するための諸案の採否決定にあたり,費用とそれによって得られる便益を評価し比較すること1として用いられる用語です。

 

それから、前に”生き残るプロジェクト”として書いた、有用なプロジェクトの項目を再度引用したいと思います。

 

生き残るプロジェクト

  • 明確なコンセプトがある。
  • 差別化が行われている。
  • 長期的な視点が提示されている。
  • 情報を無意味に隠匿せず、開示の姿勢を有している。
  • ブロックチェーン的思考を開発者が共有している。旧時代の問題性を引き継ぎシステムを再興することに決別している。
  • 理想主義に陥らず、現実的である。
  • テクノロジーの乱用が抑止されており、正当な使用である。言い換えれば、無意味な価値の創出に精を出していない
  • 等しく人のためになる。私腹を肥やさない。
  • 犯罪を助長しない。対象が普及することによって暗号通貨の認知を健全に促進する。
  • 開発者が情熱を持って楽しんでいる。誇りがある。活発である。

 

 

次に、前述した「瞬間的なうまみだけを自分が味わい、まずい部分をよその誰かに押し付ける結果起こりうる不幸」を問題のベースとして、前述の問題点を詳細に見たいと思います。

 

問題点の復習と考察

 

①買い煽りによる無価値な価値の創出

②無価値な価値を見抜けないリテラシー

③無価値な価値が破裂したときの費用便益分析的に見た全体の効用の損失

 

 

①買い煽りによる無価値な価値の創出

 

(画伯気味で申し訳ない。)

 

これは、一個あたり単価が極端に安い、まったくの電子ゴミのようなものを選び虚偽的な情報を流して価格の膨張を促進させる手法と、
構想・開発段階にあるような未完成なものを標的とし、賞賛の言説を流布して無価値な価値に相当する部分の価格高騰を演出する手法などがあると思います。

どちらがより悪いというのは、ないと思います。

もちろん、投資と投機という互いに相容れない参加者によって、流動性が確保されている面もあります。
しかしこれらは、テクノロジーソリューションとしてのブロックチェーンの首を締め殺す可能性があります。

 

暗号通貨バブルはイノベーションを絞め殺している

(TechCrunchより)

 

②無価値な価値を見抜けないリテラシー

 

deMysticWay / Pixabay

 

これまでも、「投資は自己責任だと分かっていますが、今回はあなたが責任を取ってください」や、「ご了承なんてできるかボケ。寝ずに働け」といった数々のパワーワードがリテラシーのない方々によって生み出されています。

しかし、これらは問題ではありますが、一方で被害者的面もあります。
つまりこうした意味の分からないことを公共性の高い場所で書き込んでしまうほど基本的な思考を持ち合わせていない人たちは、同時に、本質的に無価値なトークン等も喜んで買ってしまう場合があるからです。
そして、理解がなされないままに、公共的プラットフォーム上で自ら調査することもなく受け入れた情報を他人に流布し、意図せず詐欺的な行為に加担することが考えられます。

この場合、二次的被害の発生が懸念されます。
これは非恣意的・不可視的な”ネズミ講”といっても差し支えないかもしれません。

 

例としては、マーケットキャップランキングでつねに上位にいるBitconnectというものがあります。
Bitとつくのでビットコインと関連性があるのかと思われそうですが、全く関係ありません。
Bitconnectは、一部では”世界最大の詐欺”とも揶揄されるポンジ・スキーム2です。

テクノロジーでもなんでもありません。
しかしこのBitconnectを賢い資産運用として紹介しているブログもあります。

無価値な価値を見抜けないリテラシーとは、そういうことです。

 

 

③無価値な価値が破裂したときの費用便益分析的に見た全体の効用の損失

 

そして、これが本題です。
つまり、こうした界隈における作用が継続的に発生するとどのような効用が損失するのか、です。

 

端的に言うと継続的な発生による「損失」とは以下のような形になります。

1.無価値なトークンに資金が流入した場合と、そうでない場合(有用ソリューションへの資金投入)の社会的効用を比較する。

2.前者(無価値)のケースの効用を考察すると、受益は早期参加者のみであり、その他の無思考性の人々・およびFOMO(fear of missing out)3に駆られた人々に待ち受ける損失、および無価値な銘柄のみが注目された結果としての業界の腐敗という社会的損失、これらの加味して考える社会的効用は、そうでない場合(有用)と比較して、最大多数の最大幸福に該当しない。

 

 

理論的に考えるために導入する功利主義による道徳

 

rdaconnect / Pixabay

 

「受益は早期参加者のみであり、その他無思考性の人々・およびFOMO(fear of missing out)に駆られた人々に待ち受ける損失、および無価値な銘柄のみが注目された結果としての業界の腐敗という社会的損失、これらの加味して考える社会的効用は、そうでない場合(有用)と比較して、最大多数の最大幸福に該当しない」という考えは、一般的にベンサムやジョン・スチュアート・ミルなどに代表される功利主義として確立されています。

功利主義とは、行為や制度の社会的な望ましさは、その結果として生じる効用(功利、有用性、英: utility)によって決定されるとする考え方4です。

これは「私利」のみを図ることをよしとする利己主義とは異なります。
功利主義で考える場合、プログラム的に判断できます。

つまり、なにかの効用を足し算していったとき、その効用の社会的幸福がより大きいほうが正しいという図式です。

これ(功利主義)は道徳的に全く問題がないわけではありませんし、現代社会では逆に非人間的思想の傾向もあると言えますが、物事を簡潔に理解するためには有用なので今回はこうした考え方で説明しています。

 

前述した継続的発生による「損失」では、煽りや詐欺を行った胴元的人々と、FOMOや煽りに乗った人々、およびブロックチェーン業界全体におよぶ社会的な損失を加味して考えた場合、どのように考えられるかということを結論付けます。

私の考えでは、前者の存在は消えたほうが全体の効用は最大化されるのではないかと見ています。
短期的に見れば、無から幻影を生み出すことで瞬間的な愉悦に浸ることもできましょうが、そうしたものは概して刹那的で儚いものです。

 

そして、それらはまったく個人間で完結していればよいですが、市場では売る向こう側に、買いで入る人がいることが重要です。

  • テクノロジーの乱用が抑止されており、正当な使用である。言い換えれば、無意味な価値の創出に精を出していない

これに当てはめて考えれば、それが道徳的効用を生むのかそうでないかは明白だと思います。
もちろん、前提とした箇条書きの定義は私が作ったもので、自己言及のパラドックス的範囲で真実をつかめていないという反論もあります。
これについては、カントの定言命法を引き合いに次項で簡単に説明します。

 

「草コイン「PacCoin」の資料がネタすぎてツッコまざるを得ない!!」:http://www.ikedahayato.com/20180106/73928203.html

 

 

ただ言えることは、なにかのカードの表には必ず裏があります。

 

これは、最後の項(自律と他律)の要素内での言及に関連しているものですが、

社会の背景における不平等が、人々が自分の個人という存在の利用を隠蔽しながら働きかける際、どのように選択の自由が阻まれているか。

という文節を理解できるか、そこに明暗の岐路が存在するでしょう。

 

 

以上、仮想通貨における現状の問題をベンサムやジョン・スチュアート・ミルなどに代表される功利主義の考えに沿ってみてきました。

次に、自己言及的な言説のほころび的な問題について、カントの人倫の形而上学から”仮言命法”と”定言命法”を例に見、後に人間性の利用はどのような悪かについて手段と目的を軸に考察します。

 

 

参加者の尊厳を考える|カント|仮言命法と定言命法

 

StockSnap / Pixabay

 

功利主義の問題は定義を効用に限定しており、その効用が人間の不可譲な権利を侵害する場合でも、対象の行動が最大多数の最大幸福に達しているならばその効用は正当化されてしまうという点にあります。

つまり、アーシュラル=グウィンの「幸福の町(『オメラスから歩み去る人々』)」のような、どこかの地下室に幽閉される一人の子どもの不幸と引き換えに、その町の住民は幸福を享受し、その効用は幽閉された少年の被る不幸を上回るから、その状況は正当であるという場合です。

 

ここでカントの智慧を借りたいと思います。

カントは道徳を考える上で、3つの対比として定義されている条件を提示しています。
箇条書きにすると以下の通りです。

 

  1. 動機|義務 vs. 傾向性
  2. 意思決定|自律的 vs. 他律的
  3. 命法|定言命法 vs. 仮言命法

 

このうち③の命法を説明すると、以下のようになります。

仮言命法:目的に対して手段を選び、もしその行為が単に別の何かのためのみ善いのであれば、それは仮言的です。|(XのためにYをする。)

定言命法:行為がそれ自体において善いと示され、それゆえにそれが理性と一致している意思のために必要であるなら、命法は定言的です。

 

このうちカントが道徳的であるとみなす定言命法による行動はいかなるものなのでしょうか?

これには2つの定式から考えることができます。

 

1.普遍的法則の定式:行為の原則を普遍化してみる。

2.目的としての人間性の定式

 

 

①普遍的法則の定式

 

まず一番目の定式から。
これは、ある行動が道徳的か否かを確かめる試験といえます。
つまり物事を普遍化して考えてみる試験といえます。

分かりやすい例として、『正義論』を著したジョン・ロールズも同じようなことを言っています。

「公共的理性に従っているかどうかを確かめるには、こんな質問をすればいい。『自分の主張が最高裁判事の意見として提示されたら、どう感じるだろうか?』」

例えば嘘は道徳的に正しいことでしょうか?
この場合、カント、ジョン・ロールズに従って物事を普遍化してみます。
すると嘘の正当化は、初期のうちには自己に影響を及ぼしませんが、社会的普遍性を帯び始めると嘘の影響はまわりまわって自己にまで影響をおよぼすことになるでしょう。

この場合、Xを回避したいからYをしない、という仮言命法的行動に陥ってるのではないかという反論についてはどうでしょうか?

これは難しい問題です。
そうした思考を持った彼が、定言的に道徳性を高めたいということを根源としているならばそれは善いことなのではないでしょうか。
では、道徳的の高める行為が誰かを貶めることだと、個人が仮定していたらどうでしょうか。
この場合、最初に戻って、普遍的法則に合致せずそれは最終的な選択に至らないでしょう。

この部分の論理は、循環的に存在しています。
ゆえに確証的ではありません。

ただし、もう一つの定式を見ると少しだけ霧が晴れてきます。

 

②目的としての人間性の定式

 

普遍的法則の定式のみでは、人間の思考における定義が不十分でした。
しかし2つめの「目的としての人間性の定式」において、論拠の橋渡しがなされます。

目的としての人間性の定式において、目的としての人間性とは「存在そのものが絶対的な価値を持つもの、それ自体の中に目的を持つもの」とされます。

ここに定言命法の根拠が見出されます。

道徳を考える上で、その対象とは”存在しているもの”です。
カントは、存在するもの――――補足すると存在とはハイデガーの定義における現存在5のようなもの――――に対して、”それぞれが目的自体(目的を所有している存在)として存在し、誰かの意思を恣意的に使用するための手段として存在するのではない”、という説明を与えています。

 

「だれかの命を奪うのは、その人を使うことになるからだ。
私たちは理性的な存在を使い、人間性を手段として使うことで、人間を目的そのもの(※補:各個がそれぞれに目的を持った存在であるということ)として尊重することに失敗しているのだ。
そして、この理性の能力や尊敬に値する人間性は、尊厳の根拠であり、そのような人間性と理性の能力は無差別に備わっている。」6

 

これらから導き出せる論理的帰結(あくまで私の帰結ですが)は、以下のようになります。

 

他人という理性的主体を持つ人間を手段として使用する性質を持って発生する何らかの事柄の当事者の道徳性は、殺人者と同等である。

 

 

 

自律と他律

 

最後に自律と他律についてですが、長くなってしまうので簡潔にいきます。

自律と他律とは、簡潔に以下のようになります。

 

  • 自律:自由(=らに来する)に行動すること。自分自身で与える法則に従って行動すること。
  • 他律:自分自身で選んだのではない欲望に従って行動すること。

 

この他律状態において、カントは傾向性という言葉で、その言動を説明しています。

つまり、

◆ 傾向性に従って快楽を追求するとき、私たちは外から与えられた目的を実現する道具として活動している。

 

 

ここまで言えば、目が覚めてもらえるでしょうか?

 

 

道徳と倫理と正義と嘘と真実について

 

ハーバードで行われたサンデル氏の講義。(アップロード元が不明なのでグレーな動画ではありますが)実際の大学の講義そのままなので、学びは多いかもしれません。
動画一つあたり約2時間でP6まであるので、実際に講義を履修した気持ちで少しずつ見るのがおすすめです。

 

以上、道徳的側面からみた基本的な問題の素描と指摘を書いてきました。

ここまで言えば目が覚めてくれるのではないかと思うのですが、私には分かりません。
参加者の中には、時価総額という概念が理解できない人もいると聞き、そうした人たちはそもそもこの記事の内容を理解できないかもしれません。

しかし、基本的道徳の知見のいくつかは書き出せたのではないかと思います。

 

ここまでの道徳的・倫理的知見は、おおよそサンデル氏の著書および上記のハーバード大での公開講義の中の言説に依拠しています。(冒頭に書かなかったのは、なんらかの”傾向性”的な偏見で見てほしくなかったからです。)
注釈として動画下にも書きましたが、大学講義そのままといった感じで学びは多いと思います。
ただ動画一つあたりが長いので、時間があるときに実際に講義を履修した気持ちで見ると良いでしょう。

 

あるいは文字で理解したい方は、彼の本でもいいと思います。

本のタイトルを以下に書いておきますので、Amazon等で調べてみてください。

 

・マイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう』早川書房

 

もちろん彼が言っていることが、絶対的に正しいのかは分かりません。
彼が、もしくはもちろん彼以外の何者かでもいい――――判断に迷う何者が”定言命法”的に正しいことを言っているのか、立ち止まって考えてみてください。

それを他律的ではなく自律的に探ろうとしているとき、私たちは非道具的・人間性を保った自由な状態である可能性があります。

 

私は、人間を手段として使う人を心の底から軽蔑します。

そして私は、人間を目的を持つ存在として尊重し、自律的な行動を自らの義務とし、道徳的にあろうとする人を心の底から尊敬します。

 

 

注釈

  1. 費用便益分析とは:https://goo.gl/XEmiQW
  2. ポンジスキームとは、詐欺の一種で、日本語で言うところの「自転車操業」に近いものである。「出資してもらった資金を運用し、その利益を出資者に(配当金などとして)還元する」などと謳っておきながら、謳っていることとは異なって実際には資金運用を行わず、後から参加させる別の出資者から新たに集めたお金を(やはり運用せず)以前からの出資者に“配当金”などと偽って渡すことで、あたかも資金運用が行われ利益が生まれてそれが配当されているかのように装うもののこと。
  3. FOMOとは、fear of missing outの頭文字を繋いだ略語で、「見逃してしまうことへの恐れ」、または「取り残されるかもしれないということへの恐れ」を意味する。
  4. wiki/功利主義:https://goo.gl/44bwER
  5. 現存在|Dasein (ダーザイン) (ドイツ語発音: [ˈdaːzaɪn])とは、ドイツ語で文字どおりに直訳して「ここにいる」という意味で、哲学用語でもあり、現存在(げんそんざい)とも訳されている。ドイツの哲学者マアァティーン・ハイデガーが自分のコンセプトを説明する語として用いており、とくに著書「存在と時間」においてよく使われる言葉として知られている。ダーザインは実存哲学の用語であり、自己を現にそこ(da)にある(sein)ものとして自覚する存在、つまり人間的な実存のこと。https://ja.wikipedia.org/wiki/Dasein
  6. カント『人倫の形而上学の基礎づけ』に対するマイケル・サンデル氏の講義内説明から抜粋

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